『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の感想

 

※ネタバレはあるかもしれないし、ないかもしれない、知らん。

 

むかしむかしあるところに、「映画」というものがありました。

  

最近よく思うのだが、映画や小説は死にかけのメディアである。寝る前の15分で、あるいは皿を洗いながら、肌身離さぬiPhoneNetflixYouTubeも数多ある漫画村の後継サイトも見れる世界で、題名をグーグルに入れれば「5分で読めるネタバレあらすじ」が2番目にヒットする世界で、高い金と長い時間かけて映画や小説など、誰がわざわざ求めるというのか。2500円も出せば電車に乗ってプチ旅行に行ける社会で、わざわざ自らを半日拘束して面白いかもわからぬ「芸術鑑賞」をする人間なんて、よっぽど暇か金が余ってるか孤独な物好きしかいない。束の間の現実逃避先やデート先に選ぶなら、知ってる作品の焼き直しか、可もなく不可もないCGジェットコースターに乗る方がいいと思うのは、ある意味当然だろう。プロがつくった作品すらもが死にゆくのだから、こんなアマチュアの書く感想文や私小説もどきなど、誰が読むのだろう。

 

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド (Once Upon a Time...in Hollywood)』を観た。体調が良くなくて、公開日には行けなかったけど、昨日の夜に酔った勢いで予約して、今日、例のごとくポップコーン臭い新宿のシネコンで、「マカロニウェスタンっていうのはね、」だのと解説し合ってるカップル達に挟まれながら、観た。「タランティーノは好きだけど、マンソン・ファミリーの話かあ。。Inglourious Basterdsのマンソン版なら興味ないや。。」とか思っていたけど、同じように思っているような人たちが皆口を揃えて最高だと言っていたので、何だかんだかなり楽しみにしてた。いつも通り日本公開はわけのわからない時期でなめてるなとは思ったけど、映画自体は、事実、よかった。よかったけど、辛かった。

 

タランティーノ作品は、いつまでも「好きな映画やジャンルの再現」という印象があって、勿論それを最高の技術でやってのけるから好きなわけなんだけど、それはしばらく不満でもあった。今作はそういう意味で、大人びた、見たかったタランティーノだった。タランティーノも年をとったのかな、とか思った。あ、映画的には、欠点というか、唯一の不満は、もっとシャロン・テートに喋って欲しかった、ということですかね。なんでセリフが少なかったのか、どういう意図があったのか、ぜひ聞いてみたいですね。I reject your hypothesis!

 

“Once upon a time”は昔話や童話でよく使われる、「むかしむかしあるところに」のような決まり文句であるが、昔話は、当然「現実」ではない。これは李小龍への勝利を夢想するシーンで明確化されていると思う(空想ではなく回想だとみなす人の方が多いらしいけど、自分は現実に起こったことではないと見ました)。このシーンを「東洋人差別」だの「不敬」だのなんて言ってる人もいるけど、多分同じように映画を観てなかったんだと思う。李小龍、否、Bruce Leeが偉大なアクションスターであるという共通認識の上で、彼をバカにし「勝利」するという「夢」を見る姿を描くタランティーノの意図が、彼を嘲笑うところにあったと見るのは、作品の全体像から見れば非論理的だろう。彼への勝利は映画の「黄金時代」の象徴であり、或いはイノセントでナイーヴだった文化という「夢」そのもののメタファーであった。

だが、夢はいずれ終わり、人は目を醒まさねばならない。だからこそ、いつもなら手を叩いてみれる終盤の過剰なバイオレンスを、今回は笑うことなんてできなかった(劇場を去りながら、誰かが「無理がありすぎた」と言ってたけど、それが目的でしょうに)。8月9日に何が「起こった」のかを知ってるからこそ、ずっと、ずっと、「夢」が醒めるのが、怖かった。そして、色々な意味で映画が終わった今、夢物語は夢物語でしかないと、造られたセットの中で起こるただのフェアリーテイルでしかないのだという実感が、冷たく、重たく、のしかかってきている。

上映前のIMAXの馬鹿げた広告と、ディズニー映画ばかりの予告編たちを思い出す。映画.comの「人気ランキング」を確認したら、もちろんまだ上映開始から時間が経ってないとはいえ、本作は魂の抜けた『ライオン・キング』リメイクやドラマ劇場版の下の下、トップスリーすら入ってなかった。今、他の人のレビュー読みたいなと調べたら、細かいネタの解説ばかりが溢れてた。「あなたが見逃した、『ワン・ハリ』の小ネタ・ランキング!」すべてが「史上最高傑作」か「最低映画」のいずれかになり、YouTuberがジャンプカットを多用して、叫びながら褒めている。関連動画では、10年後の何月何日にシリーズ第60作目を公開するのかが党大会で発表され、狂信者たちが泣き喜んでいる。自分がそのくだらない沼から逃れているとは思わない、いな、逃げることなんて無理だろう。だから、偽善的な感想なのはわかっている。わかっているからこそ、やり切れない。

 

Crippledを「障がい者」と字幕にする時代。煙草のCMはジョークでしか観れない時代。フィルム撮影なんて誰もしない時代。創作物に刹那の楽しみ以外が求められない時代。終わりゆく「映画」の時代。「死亡通告」の後にも「蘇生」の希望があると見れるかは議論しうるとは思うけど、少なくとも自分は、それはただの「夢物語」でしかないのだと思う。馬から落ちた人間は、もう足を引き摺り過去を懐かしむしかない。

 

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