『チェンジング・レーン』って表記がおもしろい

昨日の夜、映画『チェンジング・レーン』(Michell, 2002)をみた。映画自体は前も観たことがあったし、おもしろいといえばおもしろいけど、好みではない。演技も脚本も悪くないし、後味も良いし、サラッと深いので、「なんか観るかー」ってネッフリ漁るような金曜日の夜に良い映画、程度で感想は留めておく。それよりも、邦題の表記ブレについて、語りたい。

 

原題はChanging Lanes。複数形のことはもう何度も言ってるし、今はどうでもいい。それよりも発音記号を見てほしい:[ʧeɪnʤɪŋ leɪnz]。むりやりカタカナで書くと「チェィンジング・レィンズ」といったところか。つまり、本来ならば同じ[eɪ](エィ)という発音(二重母音)が、邦題ではチ「ェ(イ)」ンジングとレ「ー」ンのように異なっているのである。おそらく、内部でchangeおよびその活用形・派生語は「チェンジ」表記、laneは「レーン」というルールがあり、それに基づいて表記しているのだろうが、それにしても、同じ題のなかにおいても、同じ発音の表記が異なっているのはおもしろい。

こういう「表記ブレ」は別に珍しくない。今住んでるアパートが「Villa Lake」のような名前なのだが、賃貸関連の書類ですら「ヴィラ・レイク」だったり「ビラ・レーク」だったり、アルファベット表記の他に{ヴィラ, ビラ}x{レーク, レイク}の4種類存在してる。これに英語以外の読みができたらもっと増えたのに。たとえば車のVolkswagenも本来のドイツ語読みなら「フ」ォルクス「ヴ」ァーゲンだし、英語読みするなら「ヴ」ォルクス「ヴ」ァーゲン。でも、日本の公式読みでは「フ」ォルクス「ワ」ーゲンだし、英語圏だと「ヴ」ォルクス「ヴ」ァーゲンと読む人が多い気がする。実際なら、ヴォルクスなのかヴォウクスなのか、ワーゲンなのかワゲンなのかといった、細やかな違いもあるが、それらを無視して上述の二例に問題を限定したとしても、「Villa Lake Volkswagen」は、ラテン文字表記の他に最低でも16種類の書き方があるのだ。

 

これが良いことなのか悪いことなのかは、わからない。ある単語が別の言語体系においてどう発音されるかには、その細やかな音韻論的規則や社会的なコンテクスト、覚えやすさ・売りやすさや語呂の良さ、さらには商標その他の拘束もある以上、音韻論的・音声学的に統一されたルールが望ましいかは一概に言えるものではない。前にnoteへ二重母音を正確にカタカナ音写した短編を載せた((dis)illusion)。あれ自体は駄作だと自分でも思っているが、現状や自らを取り巻く環境に対する違和感を描く小道具として、その効果自体が伝わるものであったのかは別としても、敢えて不自然な「ファイヤ・ウォウル」なんて表記を用いることができたのは正書法がないからこそであろうし、それは「悪いこと」ではないのだろう。それに、表音文字を用いる日本語においては、外国語を表記する際のブレは避け得ぬ点もあるだろう。表記ブレを厳密になくしたいのならば、国際発音字母でも用いるしかない(そして、それですら「厳密」に聴こえる音を反映しようと思えば、無数の補助記号を要する非実用的なものになるのだから)。

ただ、少なくともデータベース(デイタべイス?)での検索という面においては不便がある。事実、allcinema.netでは「チェンジングレーン」と公式の邦題で検索したら当然ヒットするのに対して、「チェインジングレーン」ではダメだった。これに単複や冠詞、中黒の有無も加えれば、一つの外来語は無限に表記しうるし、それだけで検索はややこしくなる。もちろん、「チェンジ」と「レーン」では原題の韻も消えてる。しかも、邦題のように「正しい」表記が決定されているものならまだしも、非公式なそれや専門用語、あるいは人名ですら、さらに何重にもブレていくのだ(特に専門用語は人によって異なる訳までつくったりして、さらに厄介だ)。

 

だからこそ、何度も言っている通り、「あらゆる映画は原題をみえるところに書いて欲しい」。少なくとも邦題のブレはそれである程度解決できる。専門用語や人名に関しては、わからないけど、できうる限り、そのまま原語の形で書けるものは書いた方がいいと思ったりもする、アカデミックな場では慣例であるように。邦題やカタカナ音写、翻訳すらもが、全世界の言語を自在に操ることができない我ら愚かな人間のために存在する、ある種の「必要悪」でしかない。