21gのとしょかん

ながいながい遺書

ちょっと邦題くんさあ、体育館裏に来てくんない?

タイトル、『生存者ちゃんの異常な長文:或いは私は如何にしてイライラするのをやめられず邦題にイラつき続けるようになったか』と迷ったけど、長いので辞めた。

 

要旨

映画の邦題について言いたいことがあるんだけど、自分でも書きながらごちゃごちゃしてきちゃったし、冒頭に少しまとめようと思う。映画の原題と邦題の関係は、基本的には以下の4種類に分かれるじゃん:

実際のところ、どれも原題の一部を保持しながら同時に破壊してる。そもそもタイトルは映画という「作品」の一部である以上、邦題などつけぬべきなのかもしれない。Bonny and ClydeBonny and Clydeとして日本公開すべきなのかもしれない。だけど、そのままでは言語の壁がある以上、原題(e.g.英語)が英語話者に与える「クオリア」を他言語話者が得ることは難しいというのも事実。タイトルを「作品の一部」と認めるのなら、その同一性を保つという観点より邦題をつけることは寧ろ推奨されるべきなのだと思う。

でも、どうやって邦題をつける?上記のようにどの邦題も完璧ではなく、原題の何かを犠牲にした上でつけられるしかない。それを認めた上で、邦題をつけるのならば原題の何を再現することを重視すべきなのか。これに「一般的回答」を出すことはできないけれど、自分は、タイトルというものが映画という作品の一部として観る人にその内容を伝え暗示する役割を果たす以上、邦題が再現すべきは原題より伝わる本編の「雰囲気」だと思うわけ。だから「作品」に手を加えてるという意識のもと、それの序曲に当る部分を改編してるということを理解した上で、原題の伝える「雰囲気」の再現を試みるべきだと思う。同時に、商品だからという言い逃れで配給会社の都合に合わせて映画の題を変えるのは、作品への冒涜であるからこれを絶対に赦さぬべきではないだろうか。

 

  

『原題無視おじさん(Carrot)』

サラマンダーのオデッセイ

映画の嫌いな邦題の例として、よく『サラマンダー』を挙げている。原題:Reign of Fire

reign

1不可算名詞: a(君主・帝王などの)君臨、統治。 b勢力、支配。

2可算名詞: 治世、御代。

(研究社・新英和辞典[as cited in weblio]より一部改変)

直訳すれば『炎の統治』とかだけど、「炎を吐くドラゴンが君臨し支配している(状態)」というようなニュアンスだから、『烈火の王国』とか『業火の帝王』とかさ、なんか色々できるじゃん。そこまで厨二ネーミングにしなくても良いかもしれないけど、せめて『サラマンダーの国』とかはどう?映画としても、復活した太古のドラゴンによって終末を迎えた世界でレジスタンスのように戦う人類の話なんだし『炎(を吐くドラゴン)の王国』っていう意味をタイトルから奪っちゃいけないと思うんだよ。『サラマンダー』って何だよ、まあ『ドラゴン』ってされるよりマシか?ちなみにReign of Fireは駄作ってのが一般見解だけど個人的には好き。「ヘリコプターでドラゴンと戦う」ってアイデアでピンときた人は是非。みんな大好きなクリスチャン・ベール主演です。 

こんな感じで「勝手に改題」される場合は多い。これは少し譲歩するんだけど、もしかして解釈の違いの範疇なのかもしれないけど、The Martianを『オデッセイ』と訳したのも嫌い。Martianは「(『マーズ・アタック!』的な)火星人」って意味もあるけど、この映画ではアメリカ人Americanや日本人Japaneseのような「火星人」としてのMartianであって、それは苦境に立ってなお「史上初の火星人」として生き続ける、諦めない主人公の前向きさとかその偉大さとかそういう意味が含まれてるのに、『オデッセイ』ってなに?ってなる。ホメロスの『オデュッセイア』と同タイトルにするほど、あるいはその王の名前を借りるほど、テーマが一致してると思わないし、「苦難の旅」だの「壮大な冒険」って意味の一般名詞としてタイトルにとったのなら、ずれてると思う。ただ、『火星に住む』とか原作小説版タイトルの『火星の人』とかだとハヤカワ文庫くさすぎるし、『火星人』は誤解を招くし、だから難しいのは同意なんだけど。自分なら『火星のコロニスト』とか、『フロンティア』かな、とかいろいろ考えるけど、『オデッセイ』はやっぱり少し違うと思う。

同じ話になるから省略するけど、Arrivalを『メッセージ』とかも、うーん、ってなる。すでに『アライヴァル』って邦題の映画があるのかな?と思ったけど無かったから、変更は字面がわかりにくいからかなあ。いろいろと比較されがちだった『インターステラー』や『コンタクト』も同じ『メッセージ』ってタイトル合ってしまうね。ちなみに、原作小説はStory of Your Lifeで、『あなたの人生の物語』と訳されてるんだけど、ともに映画化の際に変更されている。

 

狼の悪魔の悪霊のえじきのはらわたは死霊のしたたりのいけにえ・オブ・ザ・デッド2099/ZERO

それでも『サラマンダー』や『オデッセイ』や、この話題でよく上がる『変態村(Calvaire)』とかはまだマシかもしれない。ムカつくのは完全に宣伝のためにパロディにされたり便乗タイトルやシリーズ風にされたりするやつ。『26世紀青年(Idiocracy)』や『バス男(Napoleon Dynamite)』(後日原題に合わせ改題)、内容はさておき原題関係ないのに『SAW ZERO(Saints-Martyrs-des-Damnés)』とか『キューブRED(La habitación de Fermat)』(表記ブレあり)とか、有名な映画にとりあえず年号つけてみた系(e.g.『アルマゲドン2014(Astroid vs Earth))とか、沈黙してるやつとか、『サスペリア(Suspiria)』(公開1977年)より前につくられたはずの『サスペリアPART2(Profondo Rosso)』(伊公開1975年、日本公開1978年;現在は原題にあわせた『紅い深淵』という副題付)とかさ。

さて、ここで問題です:

以下の組み合わせで存在しないものは?

{死霊の, 悪魔の, 悪霊の}{えじき, はらわた, したたり, いけにえ} 

答えは『悪霊のえじき』でしたー、『悪霊の餌食(Damned by Dawn)』は存在するけどね 。ちなみに「死魔の」から始まる映画はなかったのですが、どうですかアルバトロス先輩! 

悪魔とかのいけにえとかの表

公開年、原題の順。「!」つけてる『悪霊のえじき』は『悪霊の餌食』として存在

 

ここまでのまとめ、あるいは山猫には明日がないので氷に向って撃て!

勝手に改題はどれも原題の持つ(文字通りの)意味を無視している。その結果ニュアンスが完全無視されている場合もあるし、無視されていなくても自分の解釈と大幅に事なるときもある。さらには作品から原題を奪い、マーケティング用のキャッチコピーをタイトルとして入れられてしまっているときもある。

最近はめっきり減ったけど、名訳とされる邦題についても少し。『山猫は眠らない(Sniper)』とかさ、『きみに読む物語(The Notebook)』(これは原作小説を訳した雨沢泰にクレジットを与えるべきなのかも)とかさ、最高じゃない?『氷の微笑(Basic Instinct)』なんて映画本編はともかくとして題はすごく綺麗だし、『ワイルド・スピード(The Fast and the Furious)』シリーズは英語圏でも邦題のほうがかっこいいって言われてるの見たことある。どれも好き。好きだし、原題より本編に合ってるものもあるけど、原題を完全に無視してつけている場合もある。これって必ずしも良いとは言えないんじゃないかな。

 

 

『カタカナフィケーション(Katakanafication)』

ドーカナ異義

最近の邦題で多いのがただのカタカナ化なんだけど、これのはらむ問題は、最初に出した『サラマンダー(Reign of Fire)』で考えればわかると思う。原題をカタカナ化すれば『レイン・オブ・ファイヤー』なんだけど、『炎の雨』?『炎のレーン』?『炎のLein』?Reign(reɪn)とrain(reɪn)みたく同音異義だったり、lane(leɪn)みたくカタカナで同字異議だったりすると、完全に意味が変わってしまう。『くまのプーさん』の「プー」はPoohだけど、「うんち」って意味のpooと発音一緒だし、『タンタンの冒険』はTintinで、英語読みすれば「ティンティン」だし。今まで見たこと無いけど、カタカナで書けば一緒だけど意味が真逆になる例とか無いのかなあ、ってこっそり楽しみ。

 

Selcouthな単語たち

カタカナでの同字異議に加えて、前述の「統治」とかって意味のreign、それほど難しい単語では無いけど、Weblioによれば英検2級以上の単語らしいし、意味知らない人も当然多いと思う。映画『ロード・トゥ・パーディション(Road to Perdition)』の「パーディション」の意味とか観た人の何割がわかってるんだろ。しかも調べようと思っても(映画が有名になった今ならすぐ出てくるだろうけど)、スペルわからなけらば調べることすら難しい。ちなみに、『子連れ狼』の「冥府魔道」が元ネタだったはずだから直訳なら『冥府への道』かなあ(冥府って単語が適切かは別として)。

perdition

不可算名詞: 1a(死後)地獄に落ちること。 b《古語》 破滅。 2地獄。

(研究社・新英和辞典[as cited in weblio]より一部改変)

普通の英語話者ならperditionの意味は知ってる。けど、日本語話者がその読みを「パーディション」って書かれたところで、意味の予想すらできない。それは仕方のないことだし、逆の立場で「冥府」という日本語話者なら大抵わかる単語を、meifuとかカタカナで書かれても大抵のアメリカ人は意味がわかるわけないし、たぶんwaifu(日本のヲタ用語でいう「嫁」)を連想するだけだけ。これって広義の原題無視じゃない?

 

ザ・冠詞と複数形ズ

これはもう誰しもが諦めてることなんだけど、The Lord of The Ringsを『ロード・オブ・ザ・リング』とするのも、不満。上で書いたようにroad(道)なのかlord(帝王)なのかわかりにくいのは置いておくとして、lordじゃなくてthe lordなのも意味があるし、ringsなんだよ、複数形なんだよ。

タイトル中の「リング」が指してるのは、あの金色の「一つの指輪」じゃない。一作目『旅の仲間』冒頭でGaladrielがナレーションで言う通り、あの「一つの指輪」以外にもあの世界には19個の「魔法の指輪」があって。エルフたちに与えられた3つの指輪、ドワーフたちへの7つ、人間への9つ。これら19個の指輪はそれぞれの種族をまとめ強めると詐られて配られるんだけど、指輪をつくらせたサウロンは実はそれらを全て支配する「一つの指輪」をもこっそりつくっており、それを以てして「世界」を支配することが真の目的だったってわけ。で、闇の帝王サウロンと彼の指輪こそが「(19個の)指輪の帝王」といろいろな意味で戦うから、The Lord of The Ringsなのに、「ロード・オブ・ザ・単数形リング」だと完全意味違うじゃん。原作小説を書いたTolkienは言語学者だったから独自の文法に基づいて地域や人などに名前をつけていたんだけど、こんな邦題つけられたらすべて台無しでしょ。

指輪物語』はこんなのどうでも良いくらい誤訳オンパレードだったらしいけど、うちは海外の映画館で観たし、DVDも向こうで買ったので日本字幕版は数回しか観てないんだ。ただ、戸田奈津子に関しては、タイトルには関わってないだろうけど、少し言いたいことがあるので字幕について最後に少しかいた。

あとは発音上は「ス」なのに「ズ」と読ませたり、「ジ」なのに「ザ」だったりと思ったらある日突然ちゃんと「ジ」だったり、みたいなのもたまにだけど見る。

どうでも良いけど、うちは滑舌悪いから『指輪物語』ってごまかしてる。昔『リングス』とか『リング』とかって言ってたけど、ホラー映画『リング』のことだと思われたのでもうやめた。英語だとLOTRとかLotRとかって略されるので、積極的に使っていきたいけど、これも誰も理解してくれないのでかなすぃ。

 

細かいチェンジズ

これは「勝手に改題」と一部重なるけど、一語抜いてみたり足したりとか。よくテレビでやってる頭良くなったサメが襲ってくる映画『ディープ・ブルー』は原題がDeep Blue Sea。まあ、これだけで終わってれば良かったんだけど、BBCがつくった海洋ドキュメンタリー映画で原題Deep Blueっていうのがあるんですよね、直接カタカナにすれば『ディープ・ブルー』。ってわけで、おバカなサメ映画とBBCが7年かけて撮影した自然映画が同じタイトルになりました、ちゃんちゃん。ちなみに今調べ直すまでBBCの方『ディープ・ブルー・シー』って名前で公開されてたとずっと思ってたんだけど、気のせいだった。今までの元恋人たちみんなに嘘教えてた、ごめんね。ついでにサメの方は続編出てた

これもここなのか微妙だけど、『Mr.インクレディブル』についても触れておきたい。原題はThe Incrediblesで、「インクレディブル家」の意味。映画としてもMr.インクレディブルの話ではなく、「家族」の話なんだし、むしろ「Mr.~」として一人で戦うことを否定するし、これはひどいひどいってずっと言い続けてるんだけど、公式に伝わったのか(んなわけない)、The Incredibles 2は『インクレディブル・ファミリー』として公開された。満足。

 

このセクションのサマリー

カタカナ化の主な問題は、まとめると二種類:不正確なカタカナ化と、正確すぎるカタカナ化。前者の場合は場合によっては映画本編の意味すら変えてしまう、後者は原語が違う以上与えるイメージを変えている。

 

 

『直訳(Word-to-Word)』

改題もカタカナ化も不満があるなら直訳は、って話なんだけど。例えば『第9地区(District 9)』のように殆ど合わせられる場合は、自分はこれをするべきだと思う。一方で、大抵は直訳なんてできないのもわかってる。例えば2001:A Space Odyssey(『2001年:宇宙の旅』)は、odysseyでありvoyageでもjourneyでもましてやtrekでもないわけで、でもodysseyのもつ壮大さや冒険を暗示しながらホメロスの『オデュッセイア』への連想とかは絶対訳せない。無理にやろうと思っても『宇宙のオデュッセイア』くらいしか思いつかないけれど、そもそも日本語で『オデュッセイア』と言っても冒険とか旅の意味は(少なくとも当時は)一般的でなかっただろうし。同じくThe Thing(『遊星からの物体X』)の直訳は、少なくとも自分にはできない。

造語や韻だってある。Maladolescenza(『思春の森』)っていう色々と所有できない映画があるんだけど、maladとadolescenzaの合成語だし、Aristocats(『おしゃれキャット』)はaristocratとcatのカバン語。The Fast and the Furious(『ワイルド・スピード』)がFを重ねて韻を踏んでるのも、続編の2 Fast 2 Furious(『ワイルドスピードX2』)が2とtooを重ねてるのも、直訳できるわけないじゃん?

できるけどしない方がよい場合もある。『ジュラシック・パーク』を『ジュラ紀遊園地』と訳しても意味がわからないし、『ジョーズ』を『あご』とかってなんだそれ。昔、『カッコーの巣の上で(One Flew Over the Cuckoo's Nest)』を見た友達が「カッコーって出てきた?」と言っていた。Cuckooは直訳するなら、その差別的ニュアンスも含んだ「気違い」。ついでに、fly overなのだから「上で」は単純な直訳としてもおかしいと思う。

結局、可能な場合が限られるし、直訳の結果むしろ意味が失われる場合もある。途中で「サピア・ウォーフの(弱い)仮説」について触れようと思ったけど、少し関係ないので辞めた。まあ面白い話なので調べてみて。

 

 

『Same(Same)』

あまり数を知らないけれど、原題と邦題が一緒のものもある。πとか2012とか。これらの問題だと思うことは、正確すぎるカタカナ化の部分と一緒。例えば『E.T.』の原題はE.T. the Extra-Terrestrialだけど、Extra-Terrestrialの意味(地球外生命体)がわからない日本人には、E.T.はただの文字の羅列でしかなくなってしまう。年号(e.g. 2012)、文字列(e.g. THX1138)、記号(e.g. π)、その他簡単な単語や有名な地名くらいならこれは良いだろうけど、それ以外なら結局「原題」の持つニュアンスはやはり失われてしまう。

これだけで終わると寂しいので、雑記。πを2005年頃にみたときから大好きで、いつかこの監督(ダーレン・アロノフスキー)は絶対有名になる!と思っていたらそのあと大ブレイクしてうれしかった。mother!(『マザー!』)はまだみれてないので、酷評を聞いた上でめっちゃ楽しみにしてる。ただし、大ブレイクの理由となった『Black Swan(『ブラック・スワン』)ナタリー・ポートマンが好きすぎて今もなお避け続けています←

 

 

 

結局言いたいこと

邦題はちゃんと原題の持つ「姿」を保持して欲しい

まず、『氷の微笑』だろうと『ワイルド・スピード』だろうとアサイラム制作作品だろうと、映画は「アート作品」だから、その同一性は言語や配給会社にかかわらずできる限り保存すべきだと思ってる。今はハイアートとローアートの議論をするつもりはないし、商品としての「アート作品」について語ったりするのも、映画監督の作家性が今の時代にどれだけ尊重されてるのかとか原題にどこまで監督が意見を言えてるのかとかも別の話題だと思うので、また今度。ただ広い意味「アート作品」であるわけだから、その「制作者」の意志は最大限に尊重されるべきだと思うだけ。そして、タイトルも当然その「作品」の一部である以上、できる限り尊重されるべき。

もちろん邦題をつける公式配給も、当然制作会社の許可を得ているわけだし「制作者」の一部ないしはそれに準ずる存在と見なすこともできるのかもしれない。それは言い逃れてるだけな気もするけれど、もし「制作者」の一人と認めるのであれば、少なくとも自分が求めるのは日本人に売りやすいように訳されたタイトルではなく、監督の意志を尊重した題だと伝えたい。これは字幕や吹き替えに関しても同じだし、ポスターやそれ以外宣伝だって一部共通すると思うけれど、少なくとも消費者側としては「できうる限りにオリジナルの姿が伝わるようにする」のは配給会社の使命の一つだと思ってるし、そういう努力を以てつけられた邦題を求めてる。

 

保持すべき「オリジナルの姿」とはなんなのか

とここまで言った上で、「オリジナルの姿」がいったい何なのか、正直、これには答えられない。上にあげてきた4つの「邦題の種類」、どれだってオリジナルの姿の一部をきちんと保持してると同時に棄却している。

  • a. 全く違う→『俺たちに明日はない(Bonny and Clyde)』
  • b. 発音を(ゆるく)カタカナ化→『シャイニング(The Shining)
  • c. ほぼ直訳→『2001年:宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』
  • d. 一緒→THX1138π

(c)は意味が残されてるし、(b)は原題の和風表音化であるわけだし。(a)だって雰囲気をきちんと残しているじゃん(大抵は)。でも全部の映画を意味を残したまま直訳することはできないし、かといって無関係な題なら映画の雰囲気を配給会社が勝手に解釈していることになる。量産されるof the deadや『オブ・ザ・デッド』の文化だって広まらなかっただろう。正確にカタカナにするとしても、(d)のように同じ題をつかうとしても、「パーディション」もExtra-Terrestrialも日本語話者はおそらく知らない以上、表記は一緒でも原題の「姿」が十分保持されてといえるのか。実は記事を書きはじめる前は「邦題つけるな!」ってまとめるつもりだったけど、たぶんそれは自分が英語を読めるからで、例えばБроненосец «Потёмкин»とかDirektøren for det heleって書かれてもうちなんもわかんないし覚えられないし、てか打ち方すらわかんないから今コピペしなきゃいけなかった。これで「同一性」が保たれていると言えると自分は思わない。

邦題をつけることで生れる「文化の壁」みたいなのもある。うち、英語で映画情報調べること多いんだけど、つい最近まで『天使にラブソングを…』がずっと昔に観たSister Actなの知らなかった。何度も観てるのに、今調べるまで「悪魔のえじき」がI Spit on Your Graveなの忘れてた。『最終絶叫計画』の原題はScary Movieで、これは『スクリーム』の没タイトルなんだけど、邦題どうしようもないじゃん。

蛇足なのは重々承知で。前に知合いと話したとき、『ワイルド・スピード』の話から、「一作目はPoint Blankという映画と似てて好き。邦題は忘れちゃった」と軽いあらすじとともに言ったら、相手が「似た映画で『ハート・ブルー』って映画が面白かったよ」と返してきた。後日Point Blankの邦題が『ハート・ブルー』だとわかった。その数年後『X-ミッション』という邦題の映画を観て、何か既視感を覚えて調べたらPoint Blankのリメイクだと知った。リメイク版も原題はPoint Blankだった。

The Thingを『遊星からの物体X』と訳すのはだめなのかもしれない。原作小説原題The Thing from Another WorldのAnother Worldを「遊星」と訳すのはわかるけれど、映画原題はそれを消去しシンプルにした以上、邦題もまた「遊星からの」をつけるべきじゃないのかもしれない。Close Encounter of the Third Kind(『未知との遭遇』)も好きだけど、直訳の『第三種接近遭遇(≒UFOとの接触)』を調べもしないと「馬鹿にしてる」邦題だとも思うから、良いとは思わない。アメリカ人の大半だってHynek分類法なんて知らなかったはずなのに。

これらの何処までが「ちゃんとしたタイトル」で改善できるのか、そもそもすべきことなのかは、うちは正直わからない。なにが「大切にされるべき」なの?どれが保持されるべき「姿」なの?

 

個人的な「結論」

自分が求めるのは「原題が与えるクオリアを完全に保持したまま邦題をつける」こと。だけど、それはTHX1138のようなごく一部の例を除けばほぼ不可能なわけで、結局どの方法が優れているのかは結論が出ないし出るわけない。これは上で「直訳」の問題で言ったことでもあるけれど、何かを別の言語に「完璧」に訳すことはできないのだと思う。

だから、自分なら、何を犠牲にするか、何を重視するか、考えてみる。自分にとって、タイトルは映画の識別番号であると同時に、ポスターや予告編とともにその映画の雰囲気、求めるべきものを伝える序曲のようなものだと思ってる。映画を観る前に絶対にタイトルはみるし、それが日本で借りたDVDなら邦題として、認識される。その認識の上で、どう見ようか決まるし、態度や気分がある程度決定される。例えばそれが意味がわからないものや謎に包まれたものなら作中で明かされるのかもと考えるし、人名ならその人がテーマ的に重要なのかもしれないと考える。コメディなのかホラーなのかコメディホラーとしてみるべきなのか、そもそもその作品を観るかだってタイトルに依存するところがある。

ならば、タイトルがやっぱり伝えるべきは「雰囲気」であると思う。そして、それゆえに邦題が伝えるべきは原題の本質たる「雰囲気」であると思う。原題の「雰囲気」を配給会社が解釈し決定するのは、当然嫌なところもあるけれど、同時にどうしようもないのだろうと思う。だからせめて、配給会社はそれを決定してしまっていることを理解した上で訳して欲しい。同様に自分が何かを訳すときは、それを常に念頭に置こうと思う。

勿論、原題こそが全て。そのまま伝えられないから仕方なく邦題がつけられるわけだから、原題を裏切ってはいけない。だから原語でもわかりにくい単語をわざとわかりやすい日本語に訳すのは、邦題がすべき仕事じゃない。ありきたりな原題ならありきたりな邦題をつけなきゃいけないし、わかりやすいものを無理矢理詩的にするのを美徳だとも思わない。「原題を超える邦題」は良いNAVERまとめのネタにはなるかもしれないけれど、観る側として求めてはいけないと思う。邦題は原題を読んだときに原語話者が感じる「雰囲気」を再現することに徹しろって話。それ以上は作品の二次創作でしかなく、それがいくら優れていても、われわれはオリジナルを観に来てるんだから。

そういう意味で、たとえばn番煎じ『悪魔の』うんたら系は、コメディ・ホラーでありB級であることを自ら意識しているものであれば赦してもいいのかなとは思う。大抵は違うし、売りやすいように勝手に改蔵されただけなのが問題だとは思うけれど、あの中では『悪魔のいけにえ(The Texas Chainsaw Massacre)』を原題でもパロってる『悪霊のいけにえ(The Chirstmas Season Massacre)』は名訳なのかもしれないとまで思う。クリスマス映画であることが邦題観てもわからないのは良くないけれど、邦題だけで、『悪魔のいけにえ』を意識したスプラッター描写のあるコメディ・ホラーを求めるべきことは明確に伝わる。

そして、せめて原題は邦題の側に明記して欲しい。今も映画館のA0ポスターとかだとそうしてるけど、DVDカバーにも、プレスレリースや予告編でも、タイトルを出すページに一度はちゃんと。オリジナルがわかる形にする責任は、やっぱりある気がする。できたら訳した人の名前だって知りたい。その人にもクレジットは与えられるべきだし、同時に責任があるはずだから。

これは自分の意見でしかなくて、これが絶対の正解だとは思わないけれど、うちの判断基準はこれ。原題を十分に意識し、原題から伝わる雰囲気や映画に求めるべきことを、できうる限り再現してるか。

 

一般的結論は導き出せないけど、せめて「誤訳」はやめて

ただ、うちの基準の詳細が如何であれ、原題をねじ曲げ「自分の映画」にするのは、絶対的に赦さないし、残念ながらそういうタイトルが多くあるのも事実だと思う。少なくともここまでに強く「攻撃」してきたのは、そういった「雰囲気」や「意味」を意識的にせよ無意識的にせよ無視したり変えてしまった場合のつもりだし、辟易してるのはそういう「改悪」。これらはもはや原題の雰囲気を破壊してしまっているという意味で「誤訳」と言ってもよいと思う。

こういった行為がマーケティングのためにはある程度必要なのはわかってる、そこまでnaiveじゃない。映画は公共福祉でも無給のボランティア活動でも無いし、そんな姿になるのは絶対嫌。だけれども同時に、観る側の見えないところで、「人が来るように」と岐阜県美が『眼=気球』に色を塗ったり、『春琴抄』が「売れないから」とこっそりラブコメに改変して売り出したりしたらムカつくじゃん。同じように、Reign of Fireを『サラマンダー』として、The Lord of the Ringsを『ロード・オブ・ザ・リング』として、Napoleon Dynamiteを(後日なおしたとしても)『バス男』として、セガールが出てたら何でも『沈黙の~』として、でのみ手に入る状況、それ以外手に入らない状況は、いくら売れるとしてもどうなのかと思う。

それは映画という「アート」に対して冒涜的行為な気がするわけだけど、みんなどう思ってるの?

 

 

ポストクレジット

長くなったけど、かきたかったことはかけた。満足。何時間かけたんだこれ。あとはLotR見習って30個くらいエンディングつければいいんだけど、指痛いからMARVEL風にポストクレジットで諦めるわ。

 

 

追補・オブ・ザ・デッド

ロメロのof the Deadシリーズについて

いやいや、一応各作品の内容は独立してると言え、統一感なさ過ぎじゃない(「リビングデッド」が一語なのもポイント;二語verもあるみたい)?統一感がないのは原題もで、2作目からof the living deadではなく of the deadで、しかも2の別題でZombieもあるのでなんともだけど。ただ、非公式続編The Return of the Living Deadバタリアン』で、リメイク版『ナイト~』はサブタイトル付きの『ナイト~/死霊創世記』で、リメイク『ゾンビ』が『ドーン・オブ・ザ・デッド』なところまで統一感無いのは、むしろ統一感。。?!これで4作目が『ゾンビの国』とでも訳されていれば最高だったんだけど、残念。 

 

芸術的な追補かもだ

字幕でも当然のように「誤訳」は良くある。ハリウッド超A級映画ならさすがに少ないけど、ちょっとグレード下がると10分に一文くらい普通に意味間違えてる。Amazon Primeで見た『メカニック:ワールドミッション(Mechanic: Resurrection; これも1みてたら『メカニック:復活』である意味がわかるし、うーん)』だったと思う、「"state-of-the-art"なセキュリティ・システム」を「芸術的なセキュリティ・システム」と訳してたのは笑った。

state‐of‐the‐art

限定用法の形容詞: 最新式の,最先端をいく,最高水準の。

(研究社・新英和辞典[as cited in weblio]より一部改変)

この誤訳はstateを「状態」、artを「芸術」 と考えたから「芸術的」んだろうなあとわかって面白さポイント高いんだけど、誤訳は誤訳。そもそも普通に良く使われる言葉だし、artは原義としては「(熟練した)技術」だから「正しい直訳」が可能な言葉だし、「芸術的なセキュリティシステム」って訳して違和感なかったのかな。前に大学で添削のお仕事してたときに「チジミ(食べ物)」を「shrink(縮み)」とか(正しくはjeonだけど、せめてKorean pancakeかな)、「靴下」をunder shoesとかって間違える例をよく見たんだけど、正直「芸術的なセキュリティシステム」は同じレベルのことを「プロ」が「商用」でやってる。英→日だからなおさらひどい。

でも、知識不足による誤訳よりも嫌いな「誤訳」がある。観客を馬鹿にしてるとき。「マリリン・マンソン気取りかよ」を「ロックスター気取りかよ」と訳したり、「『シンプソンズ』で見た」を「テレビで見た」と訳したりするの、本当に辞めてくれ。これは利権の問題もあるのかもしれないけれど、原語でやったネタを日本語に訳す際には変更しなきゃいけないのはおかしくない?個人的には華氏°Fを摂氏°Cになおしたり、マイルをkmになおしたりも同じレベルの観客を馬鹿にした「誤訳」だと思ってる。いっそ西暦も和暦になおしたら?

ジョークを訳せないのは仕方ないとしても、せめて完全無視は辞めてくれ。そいつそんなまじめなキャラじゃないから。一人称はなんで「僕」にした?ついでに、女がみんな「私~だわ」と喋ること、男に「おまえ」「きみ」と呼ばれ、男に対しては「あなた」と呼びかけること、これにはジェンダーの観点から言いたいこともある。まあ「女ことばという記号」なのだろうし、ここであまり言うつもりはないが、好きじゃないとだけ。

そして、字幕と音声の差に気づけるか、という問題でもない。映画の台詞はもちろん映画という一つの作品なのし、それを代用する手段が字幕なのだから、意図的にせよ不注意にせよそれを破壊する行為はその映画自体を傷つける行為に等しい。気づく気づかないじゃない、たとえ制作者すら気づかないとしても、それは絶対に許されないし許しはしない。

と、同時に、これは矛盾してるように見えるかもしれないけれど、そこにある種の作家性を入れることは認められるべきなのか、は「邦題」と同じくらいに悩むことではある。自分としては「その人らしさ」を否定したくはない上で、現状のように他の翻訳者のものを選ぶことが簡単にできるわけでない社会なら、本来の台詞からかけ離れてしまうのは絶対に避けるべきだと思ってる。

多くの人にとって、台詞は字幕を通してしか伝わらないのだから字幕は脚本家なみの影響力がある。だから翻訳者をちゃんとクレジットすべきだし、同時に責任を持たせるべきだと思う。字幕が誰によるものかポスターとかに大きく書いて欲しい。うきうきして見に行った映画が戸田奈津子字幕だとほんと終始不快になる。もちろん、なっち以外によるものでもひどいときは多い。芸術的な誤訳はなくとも、雰囲気完全無視で全く別のこと言ってるのは多くあるので。映画館に行きたくない理由の一つが、正直これ。字幕無しか英語字幕オプション欲しいってたまに思う、追加でお金払うからさ。逆に邦画はききとれないので字幕オプションくださいな。アマゾンプライムの字幕がDVDと一緒なのかは知らないけど、あれが並べて酷いのはいつか記事にするつもり。追補なのに長くなっちゃった。

 

ついほ・その3

タイトルの表記ぶれも気になる。中黒(・)をつけるべきなのかとか副題の扱いとか。公式広報レベルでもブレがあることある。うちもあまり気にせず邦題書いてしまうことあって、よくない癖だと思った。タイトルもまた作品の一部であると認めるのなら本当は正しく書くべきだよねと思い、今から書いた文章さかのぼってちゃんと直していく。一時間くらいかけてなおしました。 

 

追補 THE FINAL

全然違う内容の記事を元々書くつもりだったし、題名『ほにゃっく・こにゃっく』にしてたしもっと軽い内容のはずだったんだけど、なんか書き始めたら暴走し始めちゃった。元々の記事は別の時にするわ 。ここまで読んでくれた人、ありがとね!15,000字近いよ!ついでに、KatakanaficationってKoyaanisqatsiに字面似てるね言おうと思ったら全然似てなかった。