21gのとしょかん

ながいながい遺書

夢の中からものを持って帰る方法

以下はSir Zongsha Changが2018年に学術誌21g Libraryにて発表したコラム"How to bring treasures back home from the Dreamworld(夢の国から宝物を持って帰る方法)"の翻訳である。現在、米・ミスカトニック大学にて研究を続けているSir Chang氏は夢科学(dreamology)の第一人者であり、特に夢の中からものを持って帰る方法を探究する「YNMM研究」の創始者として注目されている。

 

[:contents]

 

序説

私の研究が始まったのは、自分が4歳だった頃のある朝だ。夢の中で沢山のダイヤモンドを手に入れた私は、母にあげようとポケットいっぱいにそれを詰め込んだのに、目が覚めたら全て無くなっていた。泣きながら「なんで盗ったの?返してよ!」と父に迫ったのを思い出す。実際に父が盗ったのかは今日まで不明であるが、あの大量のダイヤモンドを捌けたとも思えないので、やはり持って帰ることに失敗したと考えるのが自然であろう。少なくとも、あのときの悔しさが私が今もなお研究を続ける理由の一因となっているのは否めないのは確かなことである。 

あの朝からもう20年研究を続けてきたわけだから自分は「夢の中からものを持って帰る(YNMM; Yume no Naka-kara Mono wo Motte-kaeru)」方法についてなんでも知っていると言いたいところであるが、実際のところ、依然YNMMには謎が多く、その全貌を明かすまでには至っていない。それどころか、寧ろ謎は当初より一層深まったかのようにすら思えてくるのだ―勿論これがYNMM研究の最大の魅力でもあるのだが。

真に、YNMM研究は難しいものである。だが同時に、この研究の成果が現代社会にもたらす利益は想像を絶するほど大きい。環境問題や貧困は過去のものとなり、旱魃や洪水が起ころうと人口が増え続けようと食糧問題は起こらなくなり、そればかりでなくヒトは物理空間の隔たりから初めて解放される可能性だってあるのだ。YNMM技術が確立されるその日に、我々は「新たなる時代」を迎えることとなろう。今我々はその途上に立ち研究を続けているのだ。

前述の通り、YNMMの全てを私はまだ解明できているわけではない。しかし、かと言って全くの素人ではないつもりでもある。そこで、ともに新たなる世界の暁に立つ読者の皆さんに向けて、YNMM研究、否、人類のさらなる発展を願いながら、研究の系譜を記すものとする。

 

YNMM研究はYNMM-dより始まった

YNMMの成功例は、民話や神話を除いては非常に少ないが、一つだけ、学術的に認められているYNMMの報告がある。

ブドウ狩りに行った夢から覚めた朝、パジャマ代わりのTシャツにシミがついていた。これは研究が始まってから早い段階での出来事であったが、母親にシミを指摘された6歳の自分は、すぐに「ああ、夢の中でブドウを食べたからだな」と気づくことができた。(Chang, 1999)

この報告をもとに、観夢者(dreamer)が「夢の中で持って帰りたいもの(MkM; Motte-Kaeritai Mono)を持って帰ることができるのではないか」という考えが生まれ(Chang, 1999)、これを目的とするYNMM研究が本格的に始まった。このような形式のYNMMは、今日では後述の間接型YNMM(YNMM-i)と区別して直接型YNMMと呼び「YNMM-d」表すのが主流であるので、以降はこれらの表記を用いることとする。

YNMM-dでは、観夢者がMkMを所持したまま目を覚ますことで、夢の国からこちら側へ直接運ぶ。このYNMM-dは大きく2つに分けられる: MkMを衣服や鞄等に入れてこちら側へ持ち運ぶYNMM-d1と、手で持ったまま目を覚ますなどの肉体的接触を条件とするYNMM-d2である。前述のChang(1999)はYNMM-d1に分類されるが、Carl et al.(2001)が「観夢者が夢の中で負った傷がこちら側の身体でも反映される」などの民間レベルにおける類似例をもとにYNMM-d2を提案し研究が進められた。これらはさらに細分化されるが、その分類方法は諸説あり(e.g. Chang, 2003; Carl, 2004)、統一されていないので今は触れないでおこう。

YNMM-d実験は夢の中で何かをポケットに入れたり手に持ったり口に含んだりして目を覚ませばよいだけであり(Chang, 1999)、比較的容易に行えることから多くの試行が成されてきた。しかしながら、その試行の多さにもかかわらず、成功例は執筆時点において前述のChang(1999)以降報告されていない。

 

YNMM-iはYNMM-dへの批判から生まれた

当初、YNMM研究はYNMM-d研究を中心として行われてきたものの、その成功率の低さは当時からすでに指摘されていた(e.g. Autumn, 2001)。そこで、YNMM-dを図る直接アプローチ(direct approach)への批判から、Autumnらによって新たに提案されたのが間接アプローチ(indirect approach)という考え方である。この学派に属する研究者達は、MkMを特定の場所に置いたり隠された「門」等を通したりすることで、間接型YNMM(YNMM-i)を図る(e.g. Autumn et al., 2003; Togawa et al. 2004)。

直接アプローチの有効性に対する疑問の声は時間とともに増加し、近年はYNMM-i研究が主流である(Jung, 2009)。しかし、同時に、殆ど当てずっぽうに場所を試すというYNMM-i実験の性格は問題性が指摘されており(Jung, 2010)、なおも手探り状態が続いている。これに加えて、直接アプローチの実験成功例の少なさを批判して生まれた間接アプローチもまた、本論執筆時点においては同問題から逃れられていない。

 

rYNMM理論によるYNMMの再考察

大多数のYNMM-i研究者と少数のYNMM-d研究者によって進められていたYNMM研究であったが、やはりChang(1999)の再現失敗は続いた。そこでChang(2012)にて提案したのがラディカルYNMM理論(rYNMM理論)である。

これまでのYNMM研究はMkMの「どこ(where)」を問題として進められた。すなわち、YNMM-d研究者はこちら側へ渡る際に観夢者がMkMを「手に持っている」ことを主張し、YNMM-i研者達はそれに対して「特定の場所へ置く・通す」べきだと批判してきたのである。ここでrYNMM理論ではChang(1999)の再現失敗における理由を「where」以外に、具体的には「how」に求めるのである。

同論文内ではR.A.Heinemannによる小説『夢への扉』 を引用しながらrYNMMの考えを喩えている。

[『夢への扉』の]作中にて、主人公Picardは銀の鍵を空へ向け、それをくるりと回すことで夢の国から脱出することができた。我々の議論は、これまで「鍵は左右どちらの手に持っていたのか」「Picardはどこに立っていたのか」といったようなことばかり着目してきたが(中略)ここで私は提案するのである、大切なのは「空へ向けて向けて鍵を回した」ということそれだけでは無いのだろうか。足で鍵を持っていようと浜辺にいようと、あまり関係ないのでは無いのだろうか(中略)我々は鍵を「どこで動かされたのか("where" the key is moved)」ばかりに囚われ、「どう動かされたのか("how" it is moved)」が大切であることを無視してきたのではなかろうか。(Chang, 2012)

 rYNMM研究者達はこの考察を元に、YNMMにはなんらかの儀式的動作が必要なのでは無いかと考えている。例えばMkMを特定の方法で振ったり呪文を唱えながら埋めたりなどである(Chang, 2012; Autumn, 2013)。これは多くの場合、近代以前に書かれた文献におけるYNMMの例を分析し、夢の中でそれらを再現することで研究が成される(Chang, 2013)。さらに最近ではそこから派生して、時間(when)やMkMの種類(what)などに着目したり(Jung et al., 2016)、rYNMM理論的な動作がこれまでのYNMM-iやYNMM-dと同時に必要なのでは無いか(Carl, 2016)と考察したりと、いわばpost-rYNMM理論とでも呼ぶべき学派が生まれてきた。勿論rYNMM理論への批判や問題点の指摘(e.g. Togawa, 2015)はあるが、賛否はともかくとしても、rYNMM理論がYNMM研究を大きく前進させたのは事実であろうと自負している。

 

YNMMは「質量保存則」に反することはない

最後に一つだけ誤解を解いておきたい。「YNMMは質量保存則に反する」という誤解である。YNMM前後でMkMの質量分だけエネルギー総和が変化するとして、これを似非科学と見なし否定するのである。もちろんChang(1999)というYNMMの実例が存在する以上、これは誤っている。しかし同時に、質量保存則・特殊相対性理論を破らずにYNMMが実現できることを示す理論は統一された見解が無く、現状は複雑な論が様々な研究者によって成されているやっかいな状態であるから、誤解が生じるのもしかたのないことであろう。

もっともわかりやすい説としては、あちら側とこちら側が連続であることを前提に、「MkM分のエネルギーは移動しただけに過ぎず、系全体としての総和は不変である」というものがあるが(Jameson, 2000)、夢の世界がこちら側と同じくアインシュタイン空間内に存在することは未証明なばかりか、一見矛盾するような報告も存在する(e.g. Sein, 2006)。他の説には「YNMMが成功した世界」にいるからYNMMが成功するのだとか(Zorn, 2003)、多世界解釈に基づいてYNMMとは「MkMがこちら側に移った世界」を観測することである(Shar, 2003)とか。こんな面白い説もある、YNMM成功後もMkMはこちら側には渡っておらず、現実の中に一点だけ「夢」が混じっているのだと(Charne, 2006)。

私個人としてはChang(2012)で提唱した「生存者理論」を支持している。詳しくは同論文を参照していただきたいが、ざっと説明しようと思う。あくまで簡単にまとめるので、多少の論理の省略をお許しいただきたい。

例えば3DプリンターPを用いて卵と牛乳とホットケーキミックスでできているパンケーキXを印刷するとする。このとき、プリンターPのインクIの任意の1滴には卵または牛乳またはホットケーキミックスの一部が必ず含まれているはずであることを覚えていて欲しい。このプリンターPに5次元方向から光を当てたとき、その影Qは4次元となるが、この影プリンターQを用いて何かを印刷するにはインクもまた4次元である必要がある。そこでIを表裏逆にひっくり返すイメージで回転させて裏返しのIをつくる。これで再度パンケーキを印刷すると、元のパンケーキによく似た、喩えるならば色の違う「パンケーキ'」ができるのである。もちろん我々はこれを見ることは不可能であるが、メープルシロップをかけることはできる。このときのメープルシロップの瓶がMkMであり、メープルシロップは必ず卵牛乳ホットケーキミックスの全てに接することから、エネルギー量は不変なのである。

いずれにせよ、この疑問は突き詰めれば「あちら側はどこに存在するのか」さらには「夢とはそもそも何か」という根源問題に関わるため非常に興味深いところであるが、「YNMMは物理法則に反するからあり得ない」という見解は誤解である、ということだけここに強調しておきたい。

 

 

結び

冒頭に述べたとおりYNMM研究は本格的に始まってから20年ほどしか経っていないものの、その発展は目を見張るものがある。一つの実例を中心に、まずMkMを直接持って帰ろうとするYNMM-d研究が生まれ、それを批判する形で間接的に持って帰ろうとするYNMM-i研究が生まれた。これら双方への批判からrYNMMが提案され、現在はポストrYNMM時代とでも呼べるべき状況である。もちろん謎は深まるばかりなのだが、私は近いうちに解決の糸口が見つかるのでは無いかと楽観視している。

YNMM技術は文字通り「夢の技術」である。YNMM技術が確立すれば、食料だろうと医薬品だろうと、欲しいときに欲しいものを手にすることが可能となる。またこれまでのところその「作製」はCO2等の排出物が確認されていない。いずれこちら側からあちら側へものを持って行く「逆YNMM」とでも言うべき技術が確立できれば、便利な倉庫となるばかりか、ゴミ問題の解決にもつながる。さらには共通無意識界へ任意にものを動かしそれを好きなときに任意の人が引き出すことができれば、人の移動やものの輸送すら空間に縛られぬのだ。このように、YNMM技術は我々の社会を真に進化させ、サイエンスフィクションの中にしか存在しなかった「不足の無い社会(post-scarcity society)」実現の一歩となるのである。

もちろん、YNMM技術の危険性は存在する。我々研究者達が一番に危惧しているのが、その軍事利用や、特にテロリストたちによる悪用である。さらには夜に見るのは良い夢だけでは無い。小さいこども達が悪夢の中から怪物を呼び起こした際にはどうすればよいだろうか。YNMMの倫理的問題にどう対処するのかを考えるのもまた、我々研究者の責任であると強く感じている。

最後に個人的な話を一つ。先日、夢の中で昔の恋人からペンダントを貰った。残念ながらこちら側へ持って帰ることには失敗したが、貰った際にこちら側へ持って帰る方法を相談したところ、「ヒント」と言いながらドレイク方程式の書いた紙を渡された。執筆時点においてはYNMMとドレイク方程式の関連性についての先行報告は無いが、夢の住人が言うことである以上考察の意義は十二分に存在すると思い、今後研究していこうと考えているところである。

 

  

飽きたので引用文献は省略。