21gのとしょかん

ながいながい遺書

24歳のカルテ

ハッピーバースデー・トゥー・ミー。24歳になった。

 

24歳。愛しの二階堂奥歯が『八本脚の蝶』を書き始めた年齢。ジェームス・ディーンが交通事故で亡くなった年齢。ポオが『瓶の中の手紙』で表彰された年齢。昔大好きだった伊吹マヤと同じ年齢。シンジ君より10歳も年上。

誕生日にいつも思い出すこと。まだニュージーランドに住んでいた10歳のとき、毎週放課後に行っていた日本人学校で「1/2成人式」というものをした。「浅野先生」がアイスクリームを買ってきてくれて、10人ほどのクラスメートとそれを食べながら、将来の夢を発表し合った。「20歳」という響きはとても美しくて、当時はハタチになる頃にはきっとなにかを成しているのだろうと思っていたのだけれども、実際には酒と煙草が合法的に買える様になっただけにすぎなかった。そして今、行かなかった成人式から4年経った今ですら、成長など程遠いどころか高校三年生に混じって再度大学受験するところまで引き返してしまっている。そんな自分を嘲笑いながら煙草を吸っているしかない日々、3週間ほど前に高校時代の担任から「進路についてお聞きしたいので一度電話をください」とメールが来たけれども未だ無視を決め込んでいる。

誕生日を迎えて、なにが変わる訳でも無い。去年もそう思ったし、一昨年もそう思った。日付が変わった瞬間から奇跡的に「大人」になれる訳など無く、世界がバラ色に変わるなんてことも無く、ただ今日が誕生日だと定義されているから、年齢が一つ上がると決められているから、なんとなく祝福を期待しながら「おめでたい」と喜んでいるだけ。プレゼントをもらったりお誕生日会をした記憶は砂に埋もれて、無駄にした時間の長さを語りながら増えていくカウンターは失われた機会の多さと行き止まりまでのETAを示しているだけ。今年もそう思っているし、たぶん来年も同じことを思うのだろう。

24歳。ヒトは時間を対数的に知覚するらしく、たとえば1歳が2歳になるまでの時間と10歳が20歳になるまでの時間は主観的には等しいらしい。これが正しいのなら、12歳から24歳までにかかった時間と同じ程度で自分は48となり、瞬きをする間に96となり、そのまま死に至るのだろう。

48になった自分を想像する。気持ち悪い。

 

ハッピーバースデー・トゥー・ミー。おめでとう、自分。