21gのとしょかん

ながいながい遺書

自分について(4; 大学時代2014-2018)

自分について(1, 1994-2005) - 21gのとしょかん

自分について(2; 小学校時代2005-2006) - 21gのとしょかん

自分について(3; 中高時代2007-2012) - 21gのとしょかん

 

二週間前

大学を休んで、本を読みながらアールグレイ片手にシュークリームを食べた。シュークリームを食べたかったのは先週から。家から3分もかからないケーキ屋さんへ行けば買えるのは知っていたのに、外へ出るまで2週間かかった。その間一度も玄関から出ることはなかった。

アールグレイから上がる湯気が、少し肌寒さの残る5月の空気へ溶けていく。小学校は進学校だった。中学受験をして、名の知れた中高一貫校へ入れた。そこでも成績はほぼ常に学年で10位以内だった。地元の旧帝国立医学部を志望に書いたら「君はそんなところじゃもったいない、せめて阪大医学部くらいにしなさい」と言われた。受験は失敗したけど、特待生で予備校に入り前期分の学費が無料になった。結局浪人までしたのに馬鹿みたいに学費の高い私立しか受からなかったけど、それでも私立薬学部には入れた。大学でも「天才」なんていろんな教授に言われた。研究室でも「私の後を継いで欲しい」なんて入って数ヵ月後から言われ続けた。「あなたは天才だから普通の人がわからないのです」なんて怒られたりもした。どこまで本気だったのかは分からないけど一定の評価をしてくれていたのはきっと事実なのだとは思う。

カスタードが机にぽたりと垂れるの。もう大学は続けられない。続けたくない。二学年下に配当されてる講義を、大教室で知らない人たちに囲まれて、吐き気と焦燥感を隠しながら出席カードだけ提出して。数ヶ月前までは毎日のように玄関で1時間ほど泣いていたのに、今はその元気すらない。学校帰りに寄る珈琲屋の香りと、鞄に入れた文庫本と一箱のラッキーストライクだけが「現実」的だった。癖のように飲む酒だけが有意義なものに思えた。

もう疲れた。もう諦めよう。消えていく湯気を眺めながら、ぽたりと垂れるカスタードを見つめながら、泣きながら、ぼんやりとそう決めた。

 

親との電話

「大学ね、やっぱり辞めたい。ごめんなさい。」

「うん、いつ言い出すのかなって思ってたよ。」

「退学届、明日貰ってくる。」

「とりあえず休学にしたら?学生証あるほうがいろいろ便利だろうし、学生マンションも安いし。」

「休学中の在籍費も大してかからないみたいだから、そうする。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」

 

休学届

『入学直後より薬学部薬学科における講義に対して関心はあまり持てませんでした。その多少の興味すらも年月とともに失われゆき、自身の進路や将来について悩む時間は日々増えていきました。これに伴い元来より優れなかった体調は悪化の一路を辿り、心身共に苦痛を感じる時間が増えればなおも一層講義への関心は薄れていきました。それでもこれまでは、アドバイザーを兼任する研究室の教授やスクールカウンセラーを始めとして多くの方に助言を頂き、騙し騙しとは言えども通学を続けてきました。

しかし今年度より自分は留年というかたちとなりました。それと同時に「薬学部」を卒業するという進路にも益々と違和感が募ってきており、在籍を望む気持ちは急速に弱まっています。薬学部を卒業することの利点は決して小さくないとは十二分に承知しており、理性的に考えれば在籍を続ける「べき」なのかもしれません。しかし、自身の感情としては、学部に在籍を続けたいという思いは最早殆ど残ってはおらず、上記体調の悪化も伴い現時点では講義への出席すらもが非常な困難となっております。

斯様に進退を悩み続け、一進一退を繰り返しながら幾年も悠々思案に暮れながら過ごすには、薬学部の学費は高額に過ぎます。そこで今一度進路を再考し、今後の生き方を決定する時間を設ける必要があると考え、休学を所望します。』

 

研究室へのメール

 『連絡が遅れましてすみません。

2月末より心身ともに優れず、講義、研究室共に出ることが非常に困難な状況が続いておりました。それでもできる範囲でなんとか頑張ろうとはしていたのですが、今後の進路も含めて少し色々と考える時間が欲しく、また金銭的な問題もありまして、両親と相談した結果、先日週休学届を出しました。事前に先生と相談するべきではあったのでしょうが、学校へ行くたびに嘔吐を繰り返し、大学や研究室関連の連絡を見るたびに動悸がするような状況だったため、それも困難でした。すみません。後期からどうするかはまだわかりません。もしかしたらこのまま退学を決めるかもしれませんが、続けられるのならば復帰したいという思いはあります。

体調につきましては休学を決めてから改善してきてはいますが、不眠と過眠は尚も激しく、今でも毎日のように深夜に悪夢に悩まされて冷や汗をかきながら飛び起きています。このメールも、何度も動悸に襲われて中断しながら打っております。

M君には実験の状況は伝えられる範囲で伝えました。自分のデータは方針も含め全て実験ノート及びNAS内に記録しているはずですが、適宜聞いていただければ答えられる範囲で答えるつもりです。Aさん、Kさん、M君には少しづつではありますが連絡を取れており、休学のことは伝えております。

研究室に置いている荷物をいったん持ち帰るためにも、一度来週研究室に行くつもりです。その際、改めて直接お伺いしようと思っております。

実験も途中で、ご迷惑をおかけしましてすみません。

ーSK』

 

どうでもいい記憶

 
 僕たちの大学受験は2012年度だった。当時仲のよかった小学校からの友人と、電車を待ちながら話した:
「12月に世界が終わるなら、もうなんもしなくていいよね。」
僕の時間はあの時へリセットされる。
もしかしたら、あのとき、世界はやっぱり終わっていて、ようやく世界が復活したのかもしれない。あるいは、もう一生ずっと止まったままなのかもしれない。机の上で冷えたアールグレイが、決してあたたかさを戻すことのないように。
あの友達とは、高校卒業から一度も話していない。今どこにいるのかも、知らない。