21gのとしょかん

ながいながい遺書

自分について(1; 海外時代1994-2005)

今此処に自分がどうやってたどり着いたのか、少し思い出してみる。

 

生まれたのは1994年の10月末。埼玉のどこかの筈だけど、埼玉の記憶は一切無く、具体的にどこで生まれたのか、市の名前すら知らない。すぐに神奈川に引っ越した。神奈川の記憶もうっすらとあるだけ。何人かの名前も思い出せない友達がいた。大きな公園があった。よくピタゴラスLEGOで遊んだ。妹は相模原で生まれた。

幼稚園は岡山だった。カトリック系。マリア様が誰かも知らずに、「マリアさまのこころ それはあおぞら」などと歌った(典礼聖歌 第7編 一般賛歌407番)。キリストが誰か知らずに、クリスマスにはイエス誕生の劇をした。マギの一人を演じた気がする。毎朝お祈りの時間があったが、「ちちとことせーれーのみなにおいてあーめん」の意味も十字を切る行為の意味も分からなかった。そもそも「南において」だとばかり思っていた。僕たちは「ラーメン」だの「ソーメン」だのともじっては遊んでいた。

幼稚園の図書館を思い出す。『おおかみおうロボ』を、「狼のロボット」についての話だと思っていたから、読んで少しがっかりした。「ノアの箱舟」の飛び出す絵本があった。虹の絵が綺麗だった。当時の愛読書は『エルマーのぼうけん』シリーズだった。これは幼稚園に入る前からうちにもあった気がする。

ある日、何冊かの図鑑を買ってもらった。分厚い、写真がいっぱいの図鑑。「さかな」「きょうりゅう」「むし」などなど何冊か。「からだ」だかが、全裸の男女の写真が表紙になっていたから、なんだか気恥ずかしかったのを覚えてる。これらの図鑑も、穴が開くくらい、眺めた。(図鑑が、どこから出たなんてシリーズなのかわからないので、誰か教えてください→ @Deadcat_sy )

年長も終りになった頃。周りがどの小学校に行くのだとか話している中、一人だけオーストラリアに連れて行かれることになった。みんな(の親)にうらやましがられたけど、正直オーストラリアと言う名前はずいぶん後になるまで覚えられなかった。英語なんてもちろんしゃべれなかったが、それを不安がるほどの知識も無かった。

 

オーストラリアでの小学校はトールキン『指輪物語』に登場する地名から名前がとられたシュタイナースクールだった。毎日授業らしい授業はなく、木のリコーダーを吹き、虹色の蝋燭をつくり、放課後には担任がアコギを教えてくれた。校内では蜂を飼っており、年に数回蜂蜜を収穫していた。 たまに簡単な算数のテストがあったが、毎回クラス内にプリントが行き渡る前に解き終わった。

良い思い出は少ないが、オーストラリア自体にはそれでも懐かしさを感じる。家族で行ったブルーマウンテンズ。そこにあるスリーシスターズという、石に変えられた三姉妹と伝えられるその三つの岩は、なぜか強く記憶に残っている。エアーズロックのお土産店ではうすっぺらいアボリジニの民話集を買ってもらった。今思えば、あれが自分の初めて読んだ「怪奇小説」かもしれない。とにかく不気味で魅力的だったのを覚えている。

宇宙人に誘拐された話1、或いはオーストラリアにいた頃について - 21gのとしょかん

 

一年後には、ニュージーランドに引っ越した。住む場所の近くにシュタイナースクールは無く、親もシュタイナー教育に大して興味があったわけでも無かったので、こちらでは地元の公立小学校に通うことになった。

オーストラリアの学校には図書館がなかった(少なくとも行ったことはない)が、此処にはあった。そればかりで無く、授業のプリントが早く解き終わったときなどには本を読むように指示されるため、教室にも何冊もの本があった。年に数回本屋が学校に来たし、年末には教室の古い本をくれる先生もいた。そんなわけで、本好きの友達ができたこともあって、ニュージーランド時代は本を多く読んだ。パンツ一枚で戦うスーパーヒーローのCaptain Underpantsだとか児童向けホラー小説のGoosebumpsだとか(主人公が好きな女の子に噛み殺されるWerewolf Skinがお気に入り)、もう少し歳がすすんでからはブラックユーモア短編のPaul Jennings作品、少年スパイものAlex Riderシリーズなんかを読み漁った。そしてもちろん『ダレン・シャン』に『ハリー・ポッター』(どうでもいいけど、『賢者の石』アメリカ版はSorcerer's Stone、イギリス版はPhilosopher's Stoneなのです)。ナルニア国物語の『ライオンと魔女』は授業でよく扱われたので、この時期に全部読んだ。

週二回ほど、授業後は日本人学校にも通った。日本で公文をしてる知り合いからプリントを送ってもらい家で勉強していたので、漢字も含めて正直簡単すぎて暇だったのだが、数少ない日本人と出会える貴重な場だった。そしてなにより、日本語の本がここにはあった!ポー『黒猫』ヴェルヌ『海底二万里』江戸川乱歩『少年探偵団』シリーズ、『ボッコちゃん』『三毛猫ホームズ』なんかと出会ったのはこの頃。今思えば「図書室」と呼んでいたそこは、本当に本当に小さく、蔵書数は今のうちよりも少ないかもしれない。だが、当時日本語の本が唯一手に入ったそこは、僕にとってまさしく天国であった。

天国と言えば、地元の小学校に話に戻るが、聖書の「授業」が週に一度あった。近くの教会から牧師さんが来てお話をし、賛美歌を歌ったり紙芝居を見せられたりした。クイズもあった。正解すれば紙を汚すだけの虹色の消しゴムだとか、すぐはがれるシールだとか、芯の硬すぎる鉛筆だとかがもらえた。宗教上の都合によっては授業に参加せず図書館に行くことも許されており、クラスの半分くらいはそちらを選択していた。毎回、僕は本を読みたいか(あるいは友達とおしゃべりしてたいか)鉛筆がほしいかで出席を決めていた。

小学校には外国人向けのESL(第二言語として英語を話す人用言語授業)があり、この聖書の授業時間中にそれが行われることもあった。ESLはもちろん現地の子達は必要ないので少し離れた別の教室で行われていたが、僕はすぐにそこへ通うのをやめた。行かないことが自分の中で「ステータス」になっていたのもあるし、「日本人」というoutsiderになりたくなかったのもある。いずれにせよ、本好きが幸いしたのか、readingだのspellingだのspeechだの(「国語」みたいなものだろうか)では通常クラスでも常にトップ数人には入れていたので、そのうちESL側から「来なくていいよ」と言われた。

映画に目覚めたのもニュージーランドにいた頃。日本から何本かディズニーのビデオを持って行っていたのをよく観た(『ピーターパン』『ビアンカの冒険』が大好きだった)し、親の観ている『フィフス・エレメント』が怖くてソファの後ろに隠れながらリー・ルーを眺めていたり、ケーブルTVでやっていた『ターミネーター』を友達の家でKettlesのchips(ちなみにAU/NZではポテチのこともフライドポテトのこともchipsと呼んでいた)片手に観たり、『バックトゥザフューチャー』のビデオを借りて夜中に何度もこっそり観たりした記憶がある。親が特段映画好きだったわけではないにだが、いかんせんTVをつければ映画が流れてたし、そして何より『指輪物語』が国内では大ブームだった(NZで撮影してたので。学校でサントラよりIn Dreamsを歌わされたし、「知り合いの知り合い」がエキストラとして参加したなんて話も珍しくなかった)から、自然と映画に興味は向いた。好きだった子に誘われたのもあって演劇やimprov教室などにも参加しており、当時の将来の夢は「俳優または映画監督」だった

小学校の向かいにはcollegeがあった(日本でいう中学・高校)。僕はいつかそこに行くのだとずっと思っていた。数週後にあるキャンプでは、好きな子と一緒に踊る約束もしてた。それなのに、ある日僕は日本に戻ることになった。最後に本屋へ寄ったとき、以前読んだTomorrow when the War Beganが面白かったからとTomorrowシリーズを全巻買った。侵略されたオーストラリアにおいて戦う高校生集団を描く小説。作中で登場するcondomという語の意味がよくわからなくてずっと疑問に思っていたのをふと思い出した。ティーンズ向けの本を買う10歳のアジア人である僕は、レジのお姉さんに「マジで読めるの?」と驚いた顔で言われた。この帰国間際の本屋にて、sushi boyだのching chong Chinamanだのと馬鹿にされてきた自分が、ようやくNZで受け入れられたのだと、心から実感したのを永遠に忘れることは無いだろう。そして2005年3月5日、僕は日本に連れ戻されたのだった。

宇宙人に誘拐された話2、或いはニュージーランドにいた頃について - 21gのとしょかん

 

少し長くなってきたので、ここで切る。帰国後の話は『帰国子女であることについての、どうでもいい愚痴』と重複しないように、また書く。

 

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