21gのとしょかん

ながいながい遺書

なにかをつくりたいけどなにもつくれないし、そもそもずっとねむたい

今日部屋を片付けた。窓を磨いた。革靴にワックスも塗った。料理もした。

昨日の夜、昔書いたものを本棚の奥から取り出してきた。どこかにまとめて投稿したいと思った。小説も書きたいと思った、ちょっと長めのやつ。だからあまり好きではない「小説家になろう」にアカウントを作った。TLでちょくちょく見かけていたけどあまり興味を持てなかった「うたよみん」にも登録した。現時点で10首投稿している。

一ヶ月ほど前、ジーパンを「育て」るのにあこがれて、4万円のデニムパンツを買った。昔は独特の匂いが嫌で避けていたレザージャケットも、今は『暑くないの?』なんて言われながらよく着てる。ブログの投稿数が多くなってきたのも、ツイート数が増えたのも、へたっぴな絵を描き始めたのも、きっと似たような気持ちが根底にあるのだろう。

 

なにかをつくりたいと思うのは「躁状態に入った」だけなのだろう、別に否定しない。診断は行ったり来たりで気がつけば通院拒否してるけど双極の可能性は何度も指摘されているから、これも数多いエピソードの一つに過ぎないのだろうとは自分でも思う。でも、この衝動性の根底に躁があろうとなかろうと、なにかをつくりたいという思いは確かにあるのだから、理由なんてやっぱりどうでもいい。

なにかをつくりたい。なにか、自分の痕跡を残したい。永遠にとは言わなくてもしばらくの間は残る、できれば不可逆な足跡が欲しい。

 

でもね。

何かを作ろうとすればとてもとても疲れている肉体に気づくの。ギブズに全身を覆われているようで、いらいらするほど腕は痒くて、もう少しで掻けそうな気がするのに、真っ白な壁に拘束されている。気を奮い立てて計画を立てようとすると、今度は将来の不透明さに頭が悲鳴をあげる。どこかの公募に小説を出そうと日程を調べれば、「7月」の文字をみて、轢かれた子猫を見たような気分でブラウザを閉じる。そしてベッドにごろんと横になって、灰色の空と灰色の電信柱を、子どもが近くの公園で遊んでいるのを聞きながら、同じアパートの女子大生が彼氏の車に乗るのを聞きながら、眺めてる。珈琲を淹れたらやる気が出るだろうか、でも淹れるのめんどくさいなあと呟いているうちに、空はいつの間にか真っ暗になっている。どこかから聞こえる痴話喧嘩に耳を澄ませながら、ぱぱっと名作を残せる文才だの画才だのが、あるいは求めればなんでも与えられるくらいの美貌があればいいのになあと、5月の風に身震いをする。そしてそのまま目を閉じて、今日も無意識の中へと逃避する。