21gのとしょかん

ながいながい遺書

自傷(アームカット)のはなし。

※タイトル通り自傷癖の話です。もう今は切ってない。画像、リンク等は排してる。

 

「始めは、猫の引っ掻き傷と大して変わらなかった。」

もうネットの海に沈んで行ったあのサイトは、こんな一文から始まっていた。そこには薄っすらと赤い線の走る手首の写真が添えられていた。

そのページにどうやって13歳の自分がたどり着いたのかは、もう覚えていない。サイトの名前も、管理人も、今となってはわからない。しかし、それはリストカットという単語すら殆ど知らなかった自分にとって衝撃的な出会いだった。少なくとも、腕いっぱいに今も消えない傷が残るくらいには、自分を変えてしまった。

 「猫の引っ掻き傷」から始まったそのホームページの自傷は、初めのうちは嫌に明るい日記とともに少しづつ出血量を増して行った。今日も切っちゃいましたテヘだとか、血が綺麗だの美味しいだの、格子模様は可愛いだのという記述も多くあったように思う。だが、ある日を境に雰囲気は突如暗転し、傷の浅いことを自嘲しながら希死念慮と自殺願望を支離滅裂な文体で叫び始め、それまでの丁寧な赤色のパターンを破壊するかのような乱雑で深い傷が載せられるようになった。一時は自傷を辞めたいという文とともに軽微な傷跡のみを見せるようになったものの、再び日常の不満を理由に大きく切り始めるようになり、やがて更新が完全に止まった。 

13歳の僕は、後味の悪い小説を読んだ気持ちになりながら、急いでウィンドウを消し、横で流していたニコ動に注意を戻した。その後ふとあのサイトを思い出すことはあったが、その度に忘れようとした。母親の顔剃り用カミソリを拝借して、真似てみたこともあった。しかし、血すら滲むか否かといった程度の傷を幾らつくってみても特になんの感情も湧かず、興味を失った。それに、なんとなく「間違えた行為」であることはわかっていたから。猫の引っ掻き傷以下の自傷と少し嫌な記憶、本当はそれだけ終わりのはずだったのに。

 

それから2年ほど後。当時好きだった人と一悶着あったり、部活でも先輩と大喧嘩したり(これのおかげで転部した)と精神的に相当参ってた僕は、半ば偶然、あのホームページをまた見つけてしまった。再び母のカミソリを拝借、腕を切った。やっぱり何も感じなかった。だが、今回は以前と違い、その自傷ごっこに飽きることはなかった。

昔のホームページを覚えている人がいればわかると思うが、検索で出てきたサブページからトップページを探すのが難しいサイトも少なくかった。あのページもその例にもれなかったが、トップページを何とか見つけ、そこにある「リスカ同盟」だかのバナーをクリックした。登録されていたホームページは当時の段階で大半が消失、運が良くて更新停止といった状態だったが、片っ端からクリックしているうちに数個だけ生きているものを見つけた。正直、半分は「グロ画像」目当てだったのだとは思う。それでも、彼らのブログに書かれる苦悩や思いには共感できるものも少なくなかったし、自身が切る代わりにブログや画像を見ることを通して奇妙な安らぎを覚えることも多かった。そのうちの一つにいたく気に入るものがあった。「月」さんというそこの管理人とは数回メールで話した、今も元気だといいな。

 

僕の自傷ごっこはやがてごっこ遊びで済まなくなっていった。好きな人と喧嘩してはストレスで切り、万引きをしては自罰のために切り、親と言い合っては八つ当たりで切った。大抵傷は浅かったが、何十回もバーコードのように刻むことが多かった。手首は切らなかった。出血自体が目的なわけでもなかったし(片付けが面倒なだけ)、隠しやすい腕の方が向いていたから(アームカット、アムカ)。切る以外にも、ライターで熱したスプーンで腕を焼くこともしばしばあった。好きだった子が手の甲を切ってて、それも悪化を加速させた。制服が半袖の期間は殆ど切らないでいる程度の自尊心と自制心はあったものの、冬季期間に量産した傷痕は隠せず、ケロイド状のそれらを見られては「自転車で転んだ」「スキューバ中にサンゴで引っ掻いた」だのと言った。「熊に襲われた」と冗談まじりではぐらかしたこともある。「腕がフランスパン」と言われたこともあった。最初は「美味しそうでしょ」なんて応えていたものの、そのうち飽きてやめた。勿論「自分で切った」とは一度も言わなかった。

 

高2のいつだったか、自傷が親にバレた。増える腕の傷と服についてる血で気づいたのだと思う。当時自傷用には使っていなかったバタフライナイフ等色々捨てられた。強く責められ、「病院連れて行くぞ」なんて嚇されたり?した。この件で親を責めるつもりは毛頭ない。混乱したのだろう。ただ、今となれば、その頃からちゃんと病院行けてたらまだマシだったんだろうかと思うことはある。

 

高3の終わり、受験期。某A医大の二次試験の一部としてあった身体測定(あの大学は通常の筆記試験と面接小論以外に身体検査があった)で、「君、その傷じゃあうちのとこには入れないよ」と苦笑する担当者に言われた。案の定、落とされた。筆記試験はほぼ満点だったはずだし面接小論も問題なかったはずなので、身体検査以外考えられない。自傷でのはじめての「差別」だった。この件から、私服での半袖はほぼ完全に避けるようになった。そういえばツイッターの「メンヘラ界隈」と交流を持つようになったのもこの頃。メのつく神さまがまだご存命だった時代。相互だった。

結局、それ以外も受験は失敗した。浪人生となった僕は予備校の寮暮らしを始めた。と言っても予備校には合計数回しか行けなかったばかりか、大抵は部屋の外にも出られなかったので、ツイッターと酒に風邪薬濫用が全ての毎日だった。常にTLを流れる自傷画像は自身の自傷癖を悪化させた。切るたびにに裏垢でアムカ画像を見せ、誰かの「死ぬ死ぬ詐欺」とファボの数を勝手に競っては一喜一憂した。

カミソリからデザイナーズナイフに持ち替えた僕は、よく瀉血について考えていた。「嫌な血」を抜けば「綺麗で健康な自分」になれるのではないか、なんて。自傷はもう自己を罰するためでも八つ当たりをするためでもなく、嫌なことがあったらする「おまじない」だった。心身の浄化効果はなかったけど、ファボとフォロワー数という形で自身の精神安定に多少は繋がったのだからそこそこ良いおまじないだったのかもしれない。

 

その後も自傷関連では自殺未遂とか、メンヘラな恋人未満ちゃんにカミソリで切りかかられたり、お互い腕から血流しながら抱き合って泣いたりしたこともあったけど、その話はまたいつか。

今はもうめっきりアムカなんてしなくなった。見せる相手もいないから自尊心が満たされることもないし、むしろジロジロ傷痕見られて嫌なことの方が多いから必死になって隠してる。切るメリットよりもデメリットばかりが増えた。服もバイトも限られるし、注射や採血時ですら「左利きなので」なんて嘘をつきながら右腕を捲る。夏場は汗で傷が痒いし冬は冬で変に痛かったりする。それに切るのだって気力が必要だから。カミソリ探すところからめんどくさい。服やベッドに血がついたら落とすの面倒だし、かといって止血も面倒。第一、あることを「嫌なこと」と感じることが、なによりも面倒。タバコや酒という手軽で偏見の少ない自傷だって合法でできる年齢だし。

 

自傷全般について、今思うこと。「自分の身体なんだから好きにやっていいでしょ!」といった論調には、「いいけど傷痕とかのせいで嫌な思いしても知らないよ、傷痕消すのめっちゃ金かかるよ」と思うので、完璧には同意はしない。だが、かと言って「悪いことだからしちゃダメ!」も勿論同意はしない。よく、(広義の)精神病と自傷の関係を風邪と咳に例えるのだけども、いくら咳を抑えても風邪は治らないし、変に咳を我慢して肺炎とかになることもある。咳を止めるにはまず風邪を治さなきゃいけない。でも、治療の努力はやっぱり必要だし、しなくてもいい咳は喉痛めるだけだから極力避けたいよね。

見せるためのファッションとしての自傷は、僕にはよくわからない。自傷行為自体に苦悩したし、傷痕で今も苦労してるから肯定的には見れないけれど、それぞれの理由や事情があるんだろうから何も言えない。それに、タトゥーやピアスと、ボディスティッチや好きな人のイニシャルを傷で書くのとの違いは?とか言われちゃうと、結局は社会にどこまで認められてるかだけで本質的には一緒かもね、と頷きかける自分もいる。でも、やっぱり諸手あげて賛成!とも思わない。

ネットに画像を上げることについても、自分はそれのせいでそもそも始まった自傷だしさらに悪化が早まった原因であるわけだから、あまり賛成はしたくない。それでも、自分だってやってたし、それを通して知り合った人に助けられたことも多い。ファッションメンヘラだのかまってちゃんだの言われようと、やる意味もやりたくなる気持ちもすごくわかる。だから批判も強くはできない。部外者には笑われるだろうけど、傷の深さやケロイドの多さ、飲んだ風邪薬の錠数、自殺未遂の回数や派手さ、そんなので、直接的にせよ間接的にせよ優劣が決まる「社会」は、実際に存在するんだよ。そしてその「社会」にしか自分の居場所を見つけられない時もあるんだよ。ただ、もうこれ以上「被害者」を積極的に増やしたくはないから、自傷画像のRTやふぁぼはあまりしないし、今後再び腕を切ったりすることがあっても画像は載せたくない。

 

うまいまとめ方が思いつかないな、今日の記事。昨日腕を怪我した際に流れる血を見て、ふと色々思い出して書いた感じだから。

当時自分が見てたブログの人たち、今は元気だといいなあ。自分は、まあ、まだ死んでは無いよ。