21gのとしょかん

ながいながい遺書

誰もいない森で倒れる木

誰もいない森で倒れた木は音を発しない。もちろん空気の振動は生じるだろうけれども、「音」として受容する存在がいなければそれは発されなかったのと変わらない。喩え聞いている人がいたとしても、その音が意識されるのは一瞬、この世界に存在できるのは一瞬。

 

意識されない木は存在していないのと一緒。偶然大仏型なんかにでも生まれない限り、倒木と共にそれは存在を開始し、「倒れたね」という言葉の終わると同時に存在を消失させる。運が悪ければ、一生存在することなく、生まれ、死んでゆく。

 

もし今、僕の存在していることを誰も意識していなかったら、自分はこの世界に本当に存在しているのだろうか。誰にも会わず、一人で部屋にいる時間は短くないし、そんなときは自分すら自分以外のことを考えてる時間のほうが多い。いや、学校でだって街中でだって、自分はいつでも透明じゃないか。そんな時間が一定期間続けば、あるとき誰にも気づかれずそっと形を失ってLCLの水溜りになり、そして人知れず揮発するのかもしれない。そうならないって証拠ある?誰にも存在が意識されない透明人間が消えたって、気づけるわけ無いじゃないか。

 

特別になれなかった僕らは、存在するためには叫び続けなければいけない。いつの日にか誰かが自分を愛してくれる、永遠にそばにいてくれる、そんな幻想を信じ続けて。でも、愛も永遠も信じられないからやっぱり消えるまで自分を叫び続けていなきゃいけないのかな。そして、叫ぶその声すら無くした日には、あの森の木のように倒れるしかないのだろうか。それはとても辛いけど、いなかったことにされちゃうのはもっと辛い気もする。