21gのとしょかん

ながいながい遺書

こじらせ系の『眼球譚』

中学の頃からこじらせ系だったから、バタイユの『眼球譚』は当然のようにはまった。

誰が言い出したのか「図書館にエロ小説がある」なんて噂話で知ったそれを、ある日こっそり手に取ってみたら素直に面白かった。もちろん当時はバタイユの名前も知らなかったし、一緒に収録されていたマダムエドワルダは3ページくらい読んで飽きたけども。あとから続篇(の草案)があると知って、それも目当てで河出の文庫版を買った。一ページしかないその「続篇」、シモーヌ35歳の衝撃が強くてそればかりが印象に残っているが、今読み直したら本篇以上に面白かった。

 

高校の頃もこじらせ系だったから、当然のようにルドンにもはまった。

ユイスマンの『さかしま』で名前を知ったのだと思う。『眼は奇妙な気球のように無限へ向かう』を印刷して部屋に飾っていた。表紙がルドンの本があれば中身も見ずに買っていた。毒されて厨二病な短編小説も書いた。漫画『惡の華』のせいか避けていた時期もあったが、文句を言いつつも彼の絵を見るたび「大好きだな」と再確認する。一時は毎週のように岐阜県美まで数時間かけて通ったこともあった。さすがにお金が無いのでやめたが、当時印刷した『眼は奇妙な~』は今でも額に入れて飾っている。

 

ヒトは外部情報の9割近くを視覚から得ているらしい。不謹慎だけど、だから視覚を失ったときに自分がどう世界をとらえるようになるのか、恐怖と好奇心をない交ぜにした感情を覚えるときがある。眉毛を整える度、手に持ったカミソリで『アンダルシアの犬』みたく眼球を切ってみたくなる。どうせ何も変わらないのだろうけど。アメコミヒーローみたいに超聴覚とか反響定位とか使えるようになるわけが無いし。それに、視覚を失うなら春琴に熱湯をかけてからだよね。

 

結局今もこじらせ系だから、眼球と視覚に関わる研究室に配属されたのは運命かもなんて思ったりもする。まあただの偶然なのだろうけども、研究にもはまることができればいいなとは思っている。