25周年記念式典へのお誘い

昔大好きだった人がいて、じぶんはその人を姉のように慕い、事実向こうもまた恋人以上友達未満として扱ってくれていた。じぶんは当時18で、あの人は当時24だった。先日、あの人は結婚したと聞いた。今日、あのときの彼女より年上になった。

 

24になったときから何が変わった?おっけー、紆余曲折あったけど、また大学生になれたね。おっけー、多少はあれからじぶんを変えるような本に出会えたね。おっけー、過去を少しだけ捨てられたね、数少ない「友達」と呼びたい大好きな人もできたね。でも、本質的には何が変わった?いまだ手に入らないものを追い求める自らの愚行に酔い痴れ、ただその「手に入らないもの」が「手に入らない」が故に、ただそれだけに依り追い求め続けて、ハムスターが必死に回す滑車のように、どこへ続くわけでもない道を、どこへも続かぬと知りながら、そしてそれ故になにか高尚なことをしている虚構にとらわれて、今日も走っている。四半世紀、もう四捨五入したら30なのに、いまだティーンエージャーと同じ滑車を走って、同時にその滑車に乗れぬような人に親近感と好意と憧憬を抱いて、おっけー、相変わらず去年と一緒かそれ未満。

 

じぶんは、「特別」なんかじゃなかった。

少しづつ、これが現実なのだと、奪われていった予定運命を呪いながらも、消去法的に選ばれた「解答」を見て見ぬ振りができなくなってきている。違うのに。違うのに。ちがうのに。そう思っても、走って向かう先がここと同じ行き止まりなのは変わらないし、だからと言って追い来る悪魔に抱き着く勇気もない。「年齢相応に生きなきゃ」というプレッシャーは、決してそうは生きられないという自覚の裏返しで、「明日の講義しんどい、休もうかな」「この講義は出席点無いから」なんて毎日考え生活している自分の、過去の知り合いたちはすでに子を産んだり医者になったりしている。先日路上で見つけた、足がひん曲がり血を流していたネズミを思い出す。あの子は決して生きて翌週を迎えられなかっただろうし、それは否定できない自然の調和であり、あんなに威嚇して飛びかかろうとしてきたところで、Deus ex machina不在の反逆は瞬き程度の些事な等級。こんな未来選ぶつもりじゃなかったのに、間違え続けたフラグ立てのせいでBAD ENDへ一本道だけど、都合のいいセーブデータもないし、ご愁傷様二宮くん、残念ながらRe:Writeは認められていないので、無限回廊を走り続けながら必ず一つ足りないカケラでも集めてるしかないよ。

 

どんなにごまかしても、じぶんは25歳で、24歳ではなくなったわけだし、ましてや18でも14でもない。避け得ぬ「結末」からひたすら逃げたくて、逃げたくて、逃げたくて、にげたくて、だからと飲む酒はむしろその逃避すらをも大人になれよと嘲笑うし、それすらより逃避できる手段は、やはり刹那の快楽への依存以外にない。

 

ハッピー・バースデー・トゥー・ミー。いつまでこんなこと続けなきゃいけないの。

恋愛観。

恋愛観について書いてほしいと言われたのだけど、恋愛に限らず、あらゆる物はいつか必ず終わる嘘だし、それに気づかないのはナイーヴな子どもか、目をつむれるほど愚かで強い人だけ、と思う一方で、いつかどこかに、永遠で絶対的な何かが見つかるのかもしれない、それは「真理」だの「神」だのと呼ぶ物に等しいのだろう、と思ってる。「神」は確かにどこかに在るのだと信じることもあるし、信じたいだけのときも、信じれば存在すると思うこともある。絶対に存在しないから求めるだけおろかだと思うことも、求めることそれ自体が大事なのだと思うこともある。今の感情的には、信じたいけど、絶対に手に入らないと知ってるから求めたくない、けど求めてしまう、でも手に入らないので代品を代品と知りながら納得しかけるけど、やっぱり代品でしかないと気づくことが絶対にあり、そのたびになお一層信じられなくなって、それ故に一層信じたいと求めてしまう、って感じ。たぶんこれまで書いてきた文章はどれもこれのヴァリエーションのように思う。おわり。

『アド・アストラ』のぼんやりとした感想

だいすきな友達と観たんだけど、サバイバル系のパニック映画だと思ってたら、全然違かった。

科学の発展は人類に孤独の確信と闘争の頻化を齎していく、しかし父なる守護者たる「いと高き」の盲信という逃避はそれらよりヒトを救いえない、神が死んだ今、ヒトはその教えの一部を参考にすることはできるが、最終的には自らの力で「愛」を以って和平を達成せねばならない、盲目的に祈りを捧げて外部による他力本願な救済を夢みてないで(宗教的な意味は勿論、科学全能主義的な夢、あるいは単純な現実逃避も含む)、近くの者を愛し大切にすることから始めようね。と解釈したけど、今いくつかレビュー読んでたら、みんな「父性愛の葛藤」「ヒトの強欲さ」としてたので、うちはなんでも神だの罪だのの話にする癖があるのかもしれない、と思った。一部音楽の使い方と説教臭さ、主人公によるボイスオーバーの多さ、科学考証、無理のある展開が気になったけど、総評としてはなかなか面白かったです。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の感想

 

※ネタバレはあるかもしれないし、ないかもしれない、知らん。

 

むかしむかしあるところに、「映画」というものがありました。

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『チェンジング・レーン』って表記がおもしろい

昨日の夜、映画『チェンジング・レーン』(Michell, 2002)をみた。映画自体は前も観たことがあったし、おもしろいといえばおもしろいけど、好みではない。演技も脚本も悪くないし、後味も良いし、サラッと深いので、「なんか観るかー」ってネッフリ漁るような金曜日の夜に良い映画、程度で感想は留めておく。それよりも、邦題の表記ブレについて、語りたい。

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Space, the final frontier.

住宅街の公園でも、零時を過ぎればオリオン座が見える。頭上に広がる8000個強のまたたきそれぞれには138億年の歴史が存在し、その過程で幾つかの惑星とさらにそれらを中心に公転する月とを手に入れている。

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