21gのとしょかん

ヒトの命なんて,所詮21gしかないの。

昨日より今日が素晴らしい日なんて

あと三十分時間で今日が終わるのが嫌で、時計を一時間戻した。一瞬にして今は十時半となり、Twitterで無駄にした時間がなかったことにされる。


デジタル時計な人工的で不気味な赤い光に誘われて、僕は更に時間を戻していく。無為に過ぎ去った「今日」は、24時間延長された。

 


カレンダー機能があったことを思い出した。日付単位で時を戻していく。ミスマッチにアニーリングしたとしか思えなかった日常が、歪んだ二重螺旋が解かれていくように,少しづつ融解していく。退屈な4月も、ストレスしかなかった3月も、追い詰められていた2月も、憂鬱で動けなかった1月もすべて奇麗に解かれて、今は去年の12月となる。


12月は、「やりたいこと」がようやくできるようになるんだと、ひとり嬉しくて仕方がなかったんだ。あらゆる不都合が小さなことに見え、過去の苦労が遂に報われるなんて幻想すら見えた。もっとも、醒めぬ夢など無く、すぐに、「やりたいこと」以上の「やりたくないこと」に追い詰められたのだけども。


きっと,もっと戻ればいいんだ。「やりたいこと」しかない「今日」に、少なくとも「やりたくないこと」に追われない世界に、辿り着くための分岐点があるはずなんだ。僕は分化しすぎた時を初期化していく。大学に入ったときまで。浪人を始めたときまで。初めての恋人と付き合い始めたときまで。全能細胞たる自らの受精卵まで、選択によって可能性を殺し始める前まで、戻るんだ。


だが、時計は2000年1月1日を指すと、一瞬の間の後2100年12月31日まで飛んだ。そして、その拒絶と同時に、「今日」が「昨日」となったことを知る。僕は、何も変えられない過去と、何も変わらない未来とに思いを馳せながら、アカシアの木を呪った。